こんな足だけどいろんなところに行ってみたいのさ

    コーヒーを飲みながら
    いやなことばかり 考えていたら
    あのひとが おれの耳に
    そっとささやいてくれたのさ
    もっと自分に 自信をもて
    だけどやっぱり あわれな俺さ

    俺だってほんとうは
    冗談ぐらいいってみたいのさ
    仕事だって おもいっきり
    はたらいてみたい気はあるさ
    もっと明るく いきてみたい
    だけどやっぱり だめな俺さ

 

私は重度の脳性マヒです。現在アパートで一人暮らしをしています。

      

この詩は、もう十年以上も前、自立を切望しながらうまくいかず、いろいろ迷 い悩んでいたころの、いわば僕自身の自画像です。

 

障害者にとっての「自立」には、大きく二つあると思います。一つは、家庭内 での自立。二つめは、家族との生活を離れて独立すること。

 

家庭内での自立については、二十歳を過ぎて成人に達している場合は、自分が 何をしたいか、何をなすべきかの行動選択を主体的に選びとる自由を獲得したい のですが、この一見なにげないことが障害者にとってはかなり難しい面がありま す。大人になれば、多少はお酒を飲む機会もありますし、外で友だちと会って帰 宅の時間がふだんより少し遅くなることだってあります。家族、ましてや親なら 気がかりで心配するでしょう。それはわかりますが「おまえは世間なみの身体じ ゃないんだから――」と、必要以上に干渉されると、つい口ごたえの一つも出て しまいます。いちいち干渉(心配?)されるのがいやさに、自分の意志を抑えて 従順なイイコになれば家族は安心するでしょうが、自立への道を自ら放棄してし まうことにもなりかねないのです。自分が何を望み、どこまで自分の力で行動で きるかは、やはり家族との兼ねあいの中で常に主張し続けていくしかないように 思います。

 

二番目の“独立”に関しても、私の場合には「あなた一人では危ないよ」と言 われ続けてきました。家族だけではなしに、学校で施設で、あらゆるところで・ ・・・・・。言葉も身体も不自由ですから、ちいさい時からいろんな人の手をか りなければならなかったことは確かですし、感謝もしているのですが、障害者も 生きる権利は同じです。

 

千鳥足のような、こんな足でもいろんなところへ行ってみたいし、つまずきこ ろんでもひとりで歩きたいという気持ちは、ごく自然な欲求なのだと、ぼく自身 は思っています。たとえ善意にしても、とやかく言われることに屈して自立をあ きらめれば、人間らしく生きようという意欲さえ喪失してしまうことになるので す。

つきまとう「世間体」  

アパートの生活にはいって九年目になりました。はじめの頃は何もできなくて、 まわりの人にやってもらいました。とくにお風呂屋さんで一人で湯ぶねに入るこ とが出来なくて、「おねがいします」と声をかけて手伝ってもらっていました。今 では自分で出来るようになりました。まわりの人は、危なくないか、それとなく 見守ってくれています。たまには背中を流してくれる人もいます。そんな時には いろいろな話ができて楽しくなります。

 

“共に生きる”ということは、こういうことを言うのではないかと思います。 よくテレビや新聞などで、「共に生きる」とカッコいいことを言いますが、誰か エライ人からの押しつけや義務感からではなく、自然に生まれる気持ちこそ大切 だと思います。

 

ぼくの親は米屋です。二歳下と五歳下に妹がいます。二人とも結婚して、現在 実家には両親だけです。

 

ぼくは生まれてから小学校六年生ぐらいまで歩けませんでした。一九六〇(昭 和三五)年に、世田谷区松原にある光明養護学校に入学しました。この学校は肢 体不自由児のための学校で、当時、東京都にはこの他に北区王子のほうに、病院 と学校がくっついた形の施設が一つあるぐらいで遠くて不便でもそれ以外に選択 の道がなかったのです。また、当時は現在のようなボランティアも皆無で通学に はアルバイトの人にお金を払って付き添ってもらいました。アルバイトの人の都 合や自分の身体の不調などが重なって、学校へはあまり行っていません。

 

そのころ街に出ると「またびっこが来た」と、よく指さされました。くやしい し、情けなかったです。けれど大きくなるにつれて、さらにもっといやな思いを することが多くなりました。

 

いやなことが多い中で、ぼくにとって忘れられない楽しかった唯一の経験、そ れは一九七七年、二十五歳のときに「日本身体障害者スキー協会」主催で行われ たカナダ旅行に参加できたことです。五歳下の妹が介助人として同行してくれま した。

 

「バンクーバーの美しい町を彼女とデートしたい・・・・・・」恋人はいなか ったけど、いたらどんなにステキだろうと、かってにロマンチックな想いにひた ったりしました。

     僕の  いちばん好きな季節は
    真白い  冬の世界だ
    ゴウゴウと降り注ぐ  白い雪が好きだ
    とても楽しくて  胸が踊り出す
    転んだら  雪が助けてくれる
    いつまでも  そこに寝ころんでいたい
    ・・・・・・そして  一人で起き上がるんだ
    早く冬になってくれ
    冬は僕を楽しくする  人を強くする
    白い世界が  まちどうしい


 

それから三年後、カナダに同行してくれた妹が結婚しました。結婚式には出席で きませんでした。障害者の僕を親が世間体が悪いと気にしたからです。上の妹の時 には僕が怒って式に出してもらったのですが――。

 

四日市に住んでいる上の妹のところへ遊びにいった時のこと、彼女の子どもたち が僕に悪たいをついてはやしたてるのを見て、「もう来てほしくない」と妹が言う のです。帰ってから親にもそのことを念押しされる始末でした。親がこれまで苦労 して育ててくれたことは認めますが、どうしても世間体を気にしすぎるように思い ます。

 

障害者への理解を広く求めるために運動している人もたくさんおりますが、一番 身近な家族とか地域の人たちに、どうわかってもらうか――、アパートへの入居ひ とつをとってみても、そのことが結構大きく影響してきます。

                          1190年7月1日




僕のアパートひとり暮し

 

生まれつき重度の脳性マヒの僕は、三八歳の今日に至るまで様々な問題に直面し てきましたが、今はアパートでのひとり暮しで、結構楽しく生活しています。

三〇歳で親元を離れた直接の原因は、いろいろなことに積み重ねなのですが、 要は、両親を始め二人の妹たちも僕を頭から「おまえは馬鹿だから何もできない。 寝てればいい。外にも出るな」と決めつけ、世間体ばかりを気にしていました。あ る日、家族みんなで僕を施設に入れる相談をしているのを聞いてしまいました。僕 は施設にはいるのを希望していなかったので、大いに反抗して、父に殴られました。 どうして両親は僕の気持ちがわからないのだろう。僕だって家業の手伝いをしよう と思っているのに。米屋だから暮れは忙しいので、餅つきを手伝おうと考えている のに、「おまえは邪魔だ」と言う。

 

青年気の若い年頃だから街に出たり、外の空気も吸いたい。若い女性の姿も見た い、と思うのに、なぜわかってもらえないのだろう。ついに僕は決心して、生活保 護を受けながら自立しようと、アパートを探し始めた。下の妹は僕の気持ちを理解 してくれて、一緒にアパートを探しまわってくれ、二ヵ月かかって現在住んでいる アパートが見つかった。

 

僕は、大田区の通所施設の大田福祉作業所に十二年間通っていましたが、はじめ の七年間は実家から、後の五年間は、一人暮しを始めたアパートから通う毎日でし た。実家から施設へ通う同じ生活の続く中で、施設の先生に相談してアパート生活 に入りました。

 

その時、先生と二つの約束をしました。一つは、実家にもたまには帰るというこ と。二つめは、病気をしたら実家に帰る、ということでした。

 

しかし、僕はそんなことは守りませんでした。そして、アパート生活をはじめて 五年後、施設をやめました。

 

「あなたはどうせ就職できない」とか「あなたは何もできない」とか・・・・・ ・そういうことを個人的に言うようなやり方はナンセンスだと思ったし、「先生と 呼べ」と言うのは人間のあり方と違うと思った。知恵遅れでもみんな人間の権利が あります。

 

僕は、そんなことがあって、もう少し別の道を行こうと考えて自分で施設をやめ ました。

 

アパートで一人暮しをしたり、施設をやめて、いろんなことがありました。「自 分は施設にいたらダメな人間になるな」と思って、自分で施設をやめて、今いろん なことをして、いろんな友だちを持って、施設の中よりおもしろい。いろんなこと や自由な生活ができたことがよかったと思っています。

つづき  

施設を出て自分で経験したことは、四年前になるけど、会ってから二回目のサー クル活動が終わったとき、「飲みに行こう」と誘われたときの体験です。真夜中一 時半になって酔っぱらって自分ひとりで帰ってきたとき、ある若い脳性マヒの人が 意見を言った。「おまえ一人で暮しているんだってな」と。その言葉はいい言葉だ なと私は感じた。施設にいたら弱い人間になっていたかも知れないけど、今、その 言葉を思い出すと、とてもいい言葉だと思う。

 

大田区の障害者の施設はいっぱいあるけど中味は変わっていない。

 

例えば子どもを幼稚園に預けると同じで、親の意見で決定する。子どもだったら まあわかるけど、いい大人の障害者が自分でやろうとする気持ちを、わかっていな い。一般の人間だったら偉くなりたいと思うけど、障害者だって同じように偉くな りたいのです。親は施設にいれておけば安全だと思うが、私にとっての施設の生活 は人権を無視されたものでした。(知恵遅れの子も同じでかわいそうだ。もうちょ っと考えてほしい)

 

大田区も障害者をリーダーにすれば、もっと変わるのではないかと思う。私の本 当の夢は大田区の同じ境遇にある人達のためになるようなことをやりたいのです。



コスモス学級の今後のあり方についての要望  

僕は、コスモス大学のことで、打ち合わせのメンバーになった。

 

昨年九月に行われた講演会の内容が適当でないと、ある人から文句を受けた。そ の人の言い分は、福祉の講演会なら行ってもいいという考えだった。コスモスの協 力者のためになるようなことをやってもらえないかと言われたが、しかし、僕はな ぜそんなことを言うのかと逆に聞いてみた。僕はわかりましたと一応答えたが。そ の人の福祉とはなんであるかと、疑問を持った。講演会がなくとも、自分の福祉は 自分で訴えてやらねば、出来ないことであると思う。最近僕は、なかなかよい経験 をした。僕にはしっかりした考えの若い協力者の人が七人いる。福祉に係わってい る人が二人、その他五人はあまり福祉を理解していないが、大変よくしてくれる。 特に二年前の高等部女子協力者は、しっかりしていると思った。これからはしっか りした考えを持った人を協力者にたくさんほしい。

                       1991年3月29日



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