2008年7月13日 中野区絆社公開研修会 メモ

弁護士 藤 岡 毅
鈴木訴訟 時系列
    2003.4.1
    支援費制度開始 1年間 移動介護支給決定   月124時間
    2004.4.1
    移動介護月32時間要綱適用開始   月32時間
      この間 行政不服審査4回 区議会陳情却下
    2005.7.1
    月42時間支給決定
    8.30
    東京地裁へ行政訴訟提訴
    11.7
    障害者自立支援法公布
    11.10
    第1回 口頭弁論 本人の意見陳述
    2006.1月第2回
    3月第3回
    4.1
    自立支援法(暫定)施行(支援費制度消滅)
    5月第4回
    6月 第5回
    9月8日第6回
    大田区障害福祉課長、ワーカー証人尋問 原告尋問 審理終結
    11.29
    判決言渡しNHKテレビ午後7時台3分、9時台5分強放映
    12.15
    判決確定
    2007.1.17(12日付決定)
    月90時間決定
    1.22
    130団体連名で124時間への原状回復と上限撤廃の申入れ
    3.12 90時間決定に対して東京都へ行政不服審査申し立て(2008.4.22棄却)
    4.13
    シンポ開催、大田区庁舎前集会

鈴木訴訟概要
 「障害者の自己決定の尊重」を謳い文句に2003年4月「支援費制度」が制定されました。

 そして、法定勘案事項調査により、鈴木さんには「月124時間」(1日あたり4時間)の移動介護保障の必要があると東京都大田区は2003年度に認定していました。

 ところが2004年度開始直前の同年3月に入って、大田区は「月32時間が上限である移動介護要綱(助役決定)」を定めたと言い出して、2004年4月1日から大田区在住の障害者の移動介護支給量を32時間に削減する処分を強行しました。

 これに対して、鈴木さんが「124時間の移動介護支給量が上限要綱適用によって32時間に削減された処分は違法、要綱も違法」として、大田区を被告として東京地方裁判所に2005年8月に提訴した行政訴訟、これが「鈴木訴訟」です。

鈴木訴訟判決
1 判決主文
  「支援費支給を定めていた身体障害者福祉法17条の5は、平成18年4月1日の障害者自立支援法施行と同時に廃止されているので、支援費支給処分の取消を求める『訴えの利益』は失われた。」として主文では却下判決です。これは法解釈の誤りで「賃金と社会保障」1439号4頁以下の拙稿に詳論してあります。

2 移動介護削減処分の違法の宣言
 「原告は、平成15年4月以降も、1ヶ月あたり124時間の移動介護に係る支給量を認めていた平成15年支援費支給決定と同程度の移動介護支給量を必要としていたと認められるところ、それにもかかわらず、本件要綱に従うことによって、それまで必要として支給されていた移動介護に係る支給量が約4分の1又は3分の1に激減することになる。

 そうすると、本件各処分は旧身体障害者福祉法等の趣旨に反して、その判断の過程において考慮すべき事項を考慮しないこと等によりその内容が社会通念に照らし妥当性を欠くものといわざるを得ないから、処分行政庁が有する裁量権の範囲を逸脱したものとして、違法な処分というべきものである。」

 障害者の介護支給決定にあたって行政庁が勘案するべき事情は個々の障害者の介護支給にとって必要な事情です。中でも重要なのは、障害者自身の生活の意向、意思です。

 ところが行政は重要な勘案事項である障害当事者の生活への具体的意向を無視しました。

 障害者個々人が主体となって自らの生き方を決め、そのための必要なことを行政が義務として支援することが公的責任の本質であって、本人の意向を抜きにして行政が支給内容を決めるのは背理です。そのような原告の主張を前提にした判示と理解できます。

鈴木訴訟判決の意義
    ・障害者支援費に関する必要即応の原則(個別事情に即した支給原則)の規範定立
    ・福祉給付行政訴訟での実質市民勝訴判決
    ・「行政裁量の画一的運用=一律上限設定」を否定 個別事情を考慮するべき義務違反
    ・職権主義から当事者主義へ 反射的利益論との決別
    ・不利益変更処分の違法
    ・障害者自立支援法への言及
[地域で生きる権利]
 日本弁護士連合会は、2005年11月11日の人権擁護大会にて「高齢者・障がいのある人の地域で暮らす権利の確立された地域社会の実現を求める決議」を採択しました。

 そこでは「自分が暮らしたい地域で暮らし住みなれた地域で一生を終える権利。年齢や障がいの有無にかかわらず、地域社会において、人とのつながりの中で、自分らしい生き方を求める権利。」これを「地域で暮らす権利」と呼び、これが憲法、国際人権規約等に基づく基本的人権であることが確認されています。

 鈴木訴訟も、障害者が地域で当たり前の生活を営むことが侵すことのできない基本的人権であることの確認を求める意味を持ちます。

 とりわけ、障害者それぞれの暮らしに相応しい介護が法的に保障される世の中でなければ、この人権は「絵に描いた餅」になってしまいます。

 しかし、従来の判例は、かみ砕いていえば「利用者は自治体が決めたヘルパー制度に従う立場にあるに過ぎず、介護の量や内容について要求する権利はない」というようなものでした。例えば大阪高裁2001年6月21日判決(判例地方自治228号72頁)。

 鈴木訴訟はこのような悪しき前例を打ち砕くため、障がい者が地域で生活することが大切な人権に他ならないことを正面から司法の場で問うたものです。

[障害者の公的介護保障請求権の確認]
 原告が行使したのは障害者の公的介護保障請求権です。

 従来、社会福祉受給とりわけ介護保障請求について市民の「権利」について、判例は否定的でした。鈴木訴訟は、その司法の遅れた認識を改めさせて、障害者の公的介護保障請求権が現代社会における大切な不可欠な権利であることの確認を求めました。

 私は、「鈴木訴訟が認められれば、社会保障法の教科書、憲法の人権に関する教科書は書き換えを迫られます。」とHPで事前に予告していましたが、実際に憲法や社会保障の教科書は書き換えられつつあります。

 私は障害者の公的介護保障請求権の根底は個人の幸福追求権にあると考えています。

 少数者、社会的弱者として社会から疎外され続けてきた障害者個人の幸福追求権・自己決定権を側面からフォローする公的義務として、市民としての当たり前の社会参加の機会を保障し、平等な社会を実現する義務として介護保障義務が導かれると考えます。

 幸福追求権は「最低生活保障」などではありません。各個人が最大限生き生きと暮らせるため、主体的に生活を営む権利です。

 従って鈴木訴訟の膨大なる主張において「最低」「最低限度」という用語は登場しません。

 一般に社会福祉で最低生活基準が満たされない場合の最低保障として生活保護が出てきます。

 生活保護=生存権の従来の法論理は、どこの線までが公権力が義務として行なう量的基準としての最低基準であるかという発想です。換言すれば、公権力は最低ラインを行なえば義務を果たしたことになるのであって、最低ライン以外は違法の問題は生じないという発想に端的に結びつく思想である。

 これでは社会福祉の権利性など出てくるはずがない。

 人間には誰でも最高の幸せを掴むために幸福を追求する当たり前の権利があります。

 それをお手伝いするのが公的責務です。

[法学上の最近の理解]
 25条の生存権の基礎には個人の尊厳、幸福追求権(憲法13条)、法のもとの平等原理(14条)があるという理解が広まりつつある。

 憲法学説上、生存権それ自体に個人の尊厳保障が内在されていて、個人の尊厳を侵害する法規は、裁判規範性の有する憲法13条、14条、25条に違反するものという共通理解が進みつつある。

 菊池馨実(早稲田大学教授)は「社会保障の目的とは、従来の通説にいう国民の『生活保障』にとどまらず、より根源的には『個人の自律の支援』、すなわち『個人が人格的に自律した存在として主体的に自らの生き方を追求していくことを可能にするための条件整備』にあると捉えられる。」とし、
「ここで尊重されるべき@「個人」基底性、A「自律」指向性といった諸価値は、憲法13条によって憲法上保障されている根源的なものであり、どちらかといえば、前者は個人主義を宣明する同条前段(個人の尊重)、後者は同条後段(幸福追求権)に軸足を置くものと位置づけられる。

 そして、そうした条件整備にあたって最終的に責任を負う主体は国家であり、そこで達成されるべきものは、ライフステージの各段階における各個人のB「生き方の選択の幅の平等」(ないし実質的機会平等)とでも呼ぶべき規範的価値である。

 たしかに平等の契機は法の下の平等を定めた憲法14条1項並びに生存権を規定した憲法25条(なかでも「健康で文化的な最低限度の生活」保障を定めた1項)に内在している。

 ただし、ここで重要なのは、各個人による自主的自律的な生の構築を可能にするためには、単に財の配分における形式的平等を達成するだけでは十分ではなく、各人が財を機能に変換する能力にも着目した実質的配分が要請されるということである。

 したがって、憲法25条が社会保障制度(とりわけ公的給付にかかる諸制度)の直接的な根拠規定であることは言うまでもないとしても、同条の保障水準・保障内容などをめぐる規範的理解は、上記の意味での憲法13条の解釈によって規律されるものといわねばならない。

 憲法13条を基盤とし、憲法14条1項の趣旨も踏まえながら、直接的には憲法25条を媒介として具現化されるB「実質的機会平等」の価値は、人格的に自律した個人を前提においても、社会保障制度を基礎付けうることを示している」としている(季刊社会保障研究第41巻第4号(2006年3月刊行)「社会保障の法理念と憲法」)。

 すなわち、社会保障のなかでとりわけ障害者の公的支援請求権の根源的根拠は憲法第13条の幸福追求権、自己決定権の保障からと憲法第14条の平等法理から導かれるものと理解されます。

関連HP
鈴木さんと共に移動の自由を取り戻す会
早稲田大学院法務研究科 『Law&Practice』

法学専門誌掲載
    ・「賃金と社会保障」2007年4月上旬号1439号 特集「障害のある人と介護を受ける権利」
     藤岡解説4〜13頁、原田啓一郎(駒澤大学准教授)判例評釈14〜21頁、鈴木訴訟判決文55〜83頁 
    ・「憲法の基本」(法律文化社)177〜178頁  尾形健(同志社大准教授執筆)
    ・「ライフステージ 社会福祉法」(法律文化社)131頁 判例紹介 岡部耕典(早稲田大学客員教授執筆)
以上
ホームへ